ひんやりと湿った空気。
その粒子たちが寒さに身を縮めて
ぎゅっと密集しているものだから
物理的距離がその分ぎゅうと縮まって
彼方を行き交う列車の
小気味よい音をすぐそこまで運んでくる。
貨車の音で目覚めた太陽が片目を開けると
目蓋の隙間から漏れくる光と熱が大地を照らして
土が一気にごうと蒸し上がり、
ひとときの後に目覚めを迎えたいきものの
匂いが辺りに立ち込めた。
悴んでいた我が指先に血がめぐりだした。
僕もそのいきもののうちのひとつだから。
いきものたちが蠢き出すと、
空気の粒子を震わせて鳥が囀りだした。
鳥たちの声を呼び声にして
淡い光のヴェールに包まれた木々の新芽が
恐る恐る辺りを窺うように顔を覗かせた。
グォキョォッー!!!
ご機嫌そうなロバの声が大気と陽光といきものたちを貫く。
ここでは春が
あらゆる妖術を使って
容赦なく僕の心を脅かし、惑わせる。
憂鬱も
薔薇も一度書いたら忘れないというのだ。
早速、やってみると
驚くべきことに覚えてしまっている。
これは面白いと思った。
覚えるコツや上達のきっかけをつかむと
何事も一気に面白さが増してくる。
スポーツも然りである。
とかく長距離走においては
練習の質・量にばかり注目が集まり、
明快な技術論は見当たらない。
もちろん、身体能力に個人差があることや、
その開発に於いては
人一倍のトレーニングを要するのは
十分承知している。
その上で、選手や一般のスポーツ愛好者が
教わるだけで向上するきっかけをつかめるような
技術論を待望するのは無理なことなのだろうか。
他の競技に比して随分遅れているのではと
最近思っている。
Amazon覗いて楽しんでたら
関連図書に触手が伸びて、
思わずクリック、
さらにクリック、
もう一つクリック、
ついでにクリック。
今朝、ちょっと調べものしようと
会社の図書室に入って唖然。
書棚からこっちに向かって訴えかけている奴がいた。
しかも隣に寄りかかってふてくされてた。
俺も歳やなぁ。
やってもうた。
調子に乗ってたかもしれへん。
とうとう前に買った本を注文するようになってもうた。
女子校で教員やってる同級生が言ってた。
生返事が命取りだと。
生徒との約束忘れたら大変なことになるって。
そりゃそうだ。
もし、教員だったらおおごとだ...。
惜しい、悔しい・・・
でも、しっかりしろって
自分に言い聞かせている。

栃東関に日本人横綱の期待が集まり
大阪場所のチケットは珍しく売れ行き好調の様です。
九州場所には北九州在住の93歳の祖母を招待しました。
大阪場所は市内在住の妹と甥っ子が行ってくれそうです。
名古屋以外は何とか毎場所ごとに応援団を送り込みたいと思っています。
大きな中学生だった鈴木君が入門して15年になります。
度重なる大怪我を克服して立派な関取になりました。
先場所は自己最高位で苦戦を強いられましたが、
今場所の巻き返しに大いに期待しています。
皆さんも是非、春日錦関に声援をお願いします。
ところで、日本相撲協会の新弟子採用検査基準を見て
目が点になりました。
第1検査 身長173cm以上、体重75kg以上
第2検査 第1検査の基準に達しない者で身長167cm以上、体重67kg以上の者は運動能力検査を実施する。
小学校の高学年時に身長が止まってしまったので、
無理だとあきらめていただのですが基準の改正があったようです。
今からでも入門しようかなと後輩に言ったら開口一番、
「ちょんまげ無理っすよ・・・」
やっぱりダメ...か。

今度は梅を描いてみようと思っています。
ところで、梅と言えば何と言っても湯島天神。
30年前の高校受験を控えたちょうど今頃、
悪友達と合格祈願に行きました。
松戸から片道30キロを歩いて・・・。
歩いた甲斐あってか全員第一志望に合格しました。
湯島天神と言えば菅原道真。
江戸時代に菅原道真を主人公に書かれた歌舞伎
「菅原伝授手習鑑」に松王丸という舎人が登場します。
松王丸の父は右大臣道真に仕え、
次男故に家を出された本人は
道真の政敵、左大臣藤原時平の舎人となります。
ここに政変が起こって道真が太宰府に流されます。
こちふかばにほひおこせよ梅の花そんな中で松王丸の複雑な人間関係が
あるじなしとて春をわするな
彼に悲劇を招きます。
親兄弟、主従関係の在り方や考え方が
見事に描かれている物語です。
人としてどうあるべきか。
松王丸の苦渋の決断を
どのように評価するかは
人によって分かれることでしょう。
善し悪しはともかく、
松王丸に日本の武士道を見る思いがしました。
トムクルーズもこのあたりに影響を受けたんではないでしょうか。
脈々と受け継がれている文学や古典芸能には
人生の真理や哲学など永遠のテーマを扱った作品が数多く見られます。
一昨年初めて手にした源氏物語も深い感動がありました。
私などすべて奥手で理解するのに時間がかかりますが、
少しずつでも触れていきたいと思っています。
スポーツも人間の織りなす文化活動ですから、
芸術の中にも共通する
何か大きなムーブメントの内在を発見出来ると思うのです。
仕事に集中出来なくなったり、
寝起きが悪くなったり。
ついには大事な駅伝で大ブレーキ。
先輩の勧めで医者に診てもらう決心がついた。
検査の結果、貧血だった。
さらに肝機能も低下していた。
診断は過労だった。
予想外の結果にひどく落ち込んだ。
人一倍走れば強くなる。
盲目的だった自分を悔いた。
これは何かを考え直さなければ・・・。
食事やサプリメントを考えるようになったのはこの時からだ。
時を同じくしてスポーツインストラクターになるための
講習会でスポーツ栄養学の講義を受ける機会があった。
某有名メーカーのベテラン研究員のお話がえらく身に染みた。
もっと早く知っていたら競技生活が全然違っていただろうに。
もし、中学生の頃に知っていたら
どんなに楽だったろうか。
あの時の思いは今も変わらない。
次代を担う子供達にこそ、
その思いを伝えたい。
いくつになっても、
言葉で誤魔化さず、
実践出来る手本であるために・・・。
今日も走ろうと思うのです。

※私の血液検査結果です。
しっかり血が造られるように食事やトレーニングを工夫してます。

裏の杉林からはキツツキの音が風に乗って聞こえてきました。
コンコンコン・・・。
かたく乾いた響きと言うよりも
生木全体が響いているような音がします。
春の準備で忙しそうです。
野生動物はいつも命がけ。
巣を作るのも餌を捕るのも
間に合わないでは済まされません。
生きるってことすべてが真剣勝負なのだなと思いました。
勝負の世界に生きるアスリートも同じです。
食するも、休むも、そして練習も
多過ぎず、少な過ぎず。
いつも用意周到。
何事も考え尽くされていなければ
結局、間に合わないのです。
今日の一言は生かされているということ。
与えられた命だからこそ、
真剣に生きねば・・・。

大学や実業団長距離チームはもちろん、
各競技の部活動保護者会、
教員研究会、
保健主事の研修会、
学童クラブの食育、
受験前の中学3年生等々
色々な方々の前に立つことがある。
教壇に立つことに不安はないのだが、
数年前、親しい中学校の先生から
ご父兄という言葉が不適切とのご指摘を頂いてから、
言葉には特に気をつけるようになった。
今は家庭の事情も複雑になり
離婚家庭も増えていることなどが原因なのだ。
例えば、
「外食を減らしてお母さんにお弁当をつくってもらいなさい」
とも言いにくい時代なのである。
誰がつくるか分からないから、そこに配慮が必要なのだ。
保護者の方と切り出さなければならないし、
もし、事情が許さない場合は本人につくるように促す必要がある。
「何だかおかしい」
と思いながらも子供の自立を促すように努めている。
先日もあるお母さんから、
「うちの子の保育園の子供達はおままごとって言わない」
というお話を聞いて、
「・・・それじゃ、なんて言うんですか?」
「家庭ごっこ・・・」
と言われて言葉を失った。
どんな家庭なのだろうか?
食事は誰が作るのだろうか?
お父さん、お母さんの役割はどうなっているのだろうか?
どんな会話を楽しんでいるのだろうか?
色々想像しているうちに
とても心配になった。